きこえるのは、詠う風

ユイ・ステファニー

土地に残す“作品”とは何だろう。

この力強い自然の広がる土地で「個」としての作品を残す事は、自然の中に異物が混じるような違和感があるのではないか。スキューバダイビングをした時に、沢山の物を纏わないと人間は海の中には入れない事実にとても違和感を感じたけれど、そんな感覚かもしれない。

制作の滞在中、土地の力のようなもの感じる機会がとても多かった。

すさみの海岸沿い、ゴツゴツした岩場の先端に座り、広がる海をじっと眺めていると、海と自分の境目が分からなくなって、時間の流れや、個人という感覚が希薄になる。自分がちっぽけだとかの話ではなく、全てが全ての一部のような感覚だ。

山の中に入った時もその痕跡は色濃くあった。深い傷が無数に刻まれた巨大な岩。岩の上に根を張って立つ荒々しい木々。こうゆう山に入ると、いつも時間感覚がおかしくなる。その中でより印象的だったもの、山中で出会った昔の炭焼き窯の跡。それは、人間の時間や匂いを残しつつも、その場所に溶けていて、ただ石が積んであるだけの形なのに、なぜか神々しさのようなものを感じた。

きっと、他の土地でも同じような事を感じる事はできるだろうし、どこにだってこういう感覚は存在しているのだと思う。

ただ、私はこの土地に流れる存在や力に物凄く共鳴する。

この場所は雨晒しで直射日光が当たるので、作品は確実に数年で劣化していく。

すさみの土地に溶け、共鳴し、いつか風化していく絵を残したい。

山の中で見つけた、あの炭焼き窯の跡みたいに。